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【教育雑感】「ヤバい先生」

黒板

まぽさんによる写真ACからの写真

学校には「ヤバい先生」と呼ばれる人たちがいる。なぜヤバいのかは言葉ではなかなか説明できない。

「あの人はムチャクチャだ」という人もいれば、
「あの人はとても真面目だ」だという人もいる。
「あの人はピュアだ」という人もいれば、
「あの人はズルい奴だ」という人もいる。

「ヤバい先生」には賛否両論が常に付きまとう。私はそういう人たちの強烈なパーソナリティーを面白いと感じられる側の人間だと思っている。そういう人たちを許せなかった時期もあったが、やはり「ヤバい先生」には魅力がある。

思い起こせば「ヤバい先生」は昔からいた。

● 誰も使っていない部屋を占拠してる人
● 1日何しているかわからない人
● 授業では自分の趣味の話しかしない人

全ての学校を調査したわけではないが、どの学校でもこういう先生は必ずいたはずだ。

彼らに共通するのは、

「生徒への影響力がすごい」
「教員からは賛否両論で存在感が強い」
「熱狂的なファンがいる」

という点。強烈な個性には必ず好き嫌いが存在する。

最近、「ヤバイ先生」たちは少なくなってきたように思う。先生に求められるものが時代とともに厳しくなったからなのだろう。

「保護者からクレームをもらうかもしれない…」
「職員同士でコミュニケーションをとりましょう…」
「管理職や上司へのホウレンソウはしっかりしなさい…」

そういう世界で、強烈な個性を出し続けることは難しい。

自分の高校時代にいた「ヤバい先生」も、駆け出しの頃一緒に働いていたのに怖くて話しかけられなかった「ヤバい先生」も、最後の生き残りだと言われて続けてそろそろ引退を迎える「ヤバい先生」も、みんないなくなってしまうのだろうか?

好き勝手に、やりたい放題、ムチャクチャやることが教育だとは思わないし、先生としての資質や社会から求められているものは十分に理解できるし、「ヤバい先生」になりたいわけでは全くないけれど、そういう人たちがこの世界からいなくなってしまうのは何だか寂しい気もする。

「ヤバい先生」たち何を学ぶのか?

数年前に臨床心理士さんの講演会で言っていたことを思い出した。

【とある臨床心理士さんの講演会より】

「子どもの発達には、情緒的応答性(共感的に応じること)の高い養育者が必要だが、同時に多様な人間関係も必要。予防注射は薄めた毒を体内に入れることで免疫力があがる。社会で生きていくためには、センスのない先生や、いじわるするクラスメイトも必要。「もっといい先生が良かった」「あんなクラスメイト嫌だ」「うちの子にはこう接してほしいのに…」「え?そんな子がクラスにいるの!」と思ってしまうが、成長には必要なことだったりする。」


センスのない先生、キレどころのわからない先生、趣味の話しかしない先生、いつも不機嫌な先生…そういう(ちょっとこの人は…)と思ってしまうような人たちも多様な人間関係の一部であって、子どもたちの成長には必要なのかもしれない。