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【教育雑感】脱・ベストキッド理論

 脱・ベストキッド理論 

空て

「よくわかんないんだけど、この授業を聞いていたら、知らず知らずのうちにこんなことが身に付いていた」

…という授業が最高の授業である…と、数年前まで考えていた。私はこれをベストキッド理論と呼んでいる。

ベストキッドと言うのは映画のタイトルで、内容はというと、いじめられっ子の少年が空手を教わりながら成長していくという物語。ジャッキーチェンとウィルスミスの息子がやったリメイク版もあるので、けっこう知っている人もいると思う。で、この映画(リメイク版ではない方)には、こんなシーンがある。

いじめられっ子
「空手を教えてください 」

師匠
「あいわかった。ではワックスをかけなさい」

いじめられっ子 
(これが終われば空手を教えてもらえるんだな~) 
「終わりました! 」

師匠
「あいわかった。ではペンキを塗りなさい」
 
いじめられっ子
(よ~し、これができたら空手を教えてくれるんだな~)
「終わりました 」

師匠
「あいわかった。ではワックスをかけなさい」

いじめられっ子
「ふざけんなよ!俺帰る! 」

師匠
(やれやれだぜ)待ちなさい。てぃ!(パンチ繰り出す) 

(身体が勝手にワックスかける動きをしてパンチを防ぐ)

  いじめられっ子
「こ、これは…師匠すみませんでした! 」

つまり、ワックスかけとか、ペンキ塗りとかやってたら知らず知らずのうちに空手が身についていたということ。

自分がやらされていた(やっていた)ことの意味がわかったことで、その後は、自分の成長を実感でき、師匠の意図もわかり、モチベーションがあがり、さらに修行に打ち込み、どんどん強くなりましたとさ…という展開。(う~んいい話だな~)

けれど、もし、弟子が、

 弟子
「じゃあいいよ。俺止めるからバイバイ。まじ何言っても無駄だから!」
「あーくだらねー!まじくだらねー」

と、完全にけつをまくってしまったらどうか。きっと師匠も関係を切って終わりになってたはず。

なので、このモデルが成り立つためには、けつをまくりそうな限界を師匠が見極めることや、弟子が師匠の意図を汲み取れることが条件になる。そのため1vs1の師匠と弟子という

「いつでも見られる、いつでも声かけができる」

環境が必須かと思う。

で、このあたりを勘違いしていた。で、勘違いしたまま、1vs40で同じ事をやろうとしていた。

できる子は言われなくても師匠の意図を汲み取るので成長する。素直な子も、何の疑いもなく修行するので成長する。それ以外の子は、

 弟子
「なんだよこれ!やってらんねーよ」

とけつをまくる。そして、ダメ師匠は、

ダメな師匠
「人の言うこと聞かないからダメなんだよ」

となる。また、真面目な師匠は、

真面目な師匠
「わたしの意図が伝わない、わたしの見る力や、声かけの力が足りないのだ…」

と悩んだりする。そもそも授業における1vs40のモデルにそれは向いていないよというとに気づかないと、この状況からは抜け出せない。なので、こういうモデルは捨てて、基本に立ち返ることが必要なのだと思う。

誰もがモチベーションをもって何かに打ち込めるようにするためには、

1.価値の伝達

● こうなれたら良いよね~
● これできたら良いよね~

2.目標の伝達

● 今日はここまで目指そうね~
● 明日はここまで目指そうね~

3.学び方の伝達

● そのためには、こうやろうね~
● これをやるときには、こういうとこに気をつけようね~

4.自己の形成的評価 

● 今日はどうだった?
● 目標は達成した?

5.フィードバック 

● 今日はこうだったね~
● 次回はこうするとよいかもね~
● こんなこともできると良いね~

このような流れが必要。まあ、昔から当たり前に言われていたことではあるのだけれど、けっこうできていない人も多いと思う。

師匠
「何も考えるな!とにかく辛くてもやれ!」

師匠
「迷わず行けよ!行けばわかるさ!」

そういうやり方も個人的には嫌いじゃない。けれど、そういう時代は終わりを迎えつつある。脱・ベストキッド理論。ようやくそこに至った。