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【学級通信】(第135号)学問のすゝめ

学問のすゝめ

たくさんの一万円札

先日、生徒に本を貸しました。推薦試験の面接などで「最近読んだ本について教えてください…」的なことも出てくるからです。本来ならば本というものは普段から読んでおくのが…などと書けば、本を読めっていう学級通信になるので、それは次回以降にしようと思います。

今回、貸した本は以下です。

○ 現代語訳 学問のすすめ

○ 不思議なキリスト教

○ ルポ貧困大国

全部新書です。ちなみに今の高校生は新書って言ってもわかりません。新書って何?でっかい本?とか言われます。(まじか…日本終わった)って感じです(笑)。グーグル先生が分かりやすく教えてくれたので載せておきます。

【新書 しんしょ】

出版物の形式の一つ。B6判より少し小型で、余りかたくるしくない書き方をした教養ものや小説などを収めた叢書(そうしょ)。

とありました。わかりました?皆さんが今、必死になっている英単語帳くらいのサイズのだいたい白をベースカラーにした本屋にずらーっと並んでいる教養ありそうなオッサンが電車の中で読んでいるアレです。

その新書より小さいのが文庫です。文庫って何?って人はもうかなりヤバイので、図書館に行って、司書で国語科のY先生に、文庫とは?新書とは?ハードカバーとは?とか習ってください。まじで。

閑話休題。今回貸した本の中に「学問のすすめ」があります。さあここで問題。「学問のすすめを書いた人は誰?」。大丈夫ですよね?一万円札の彼です。みんな大好き諭吉です。諭吉、諭吉って親しみを込めて呼んでいますよね。そんなに愛されている彼が書いたベストセラー…それが学問のすすめです。すすめの字が「すゝめ」になっているのも記憶にないですかね?

この本を読んだことある人はたぶんそんなにいないと思います。私もそうでしたし。だって昔の文体なんて読めないもん(笑)。だから大人になって現代語訳を発見して読んだわけです。しかし、さすがのわたしでも最初の出だしは知っていました。さあここで問題。「学問のすすめの最初の出だしの文章は?」。同じ質問をその辺にいた子たちに聞いたら、「わからない」の連発でした。「天は人の上に…」くらいまで言っても出てきません。正解は、「天は人の上に人を造らず」です。あーってなった人の方が多いことを祈るばかりですが、全く知らなかった人たちは一万円札のおじさんが言っていたことの一端でも覚えておいてください。ぜひ一度この本を読みましょう。現代語訳なので読みやすいですし、明治の頃書いたはずなのに、ちゃんと現代でも通用します。

「何で勉強しなきゃならないの?」

というみんながずっとモンモンとしていて、受験期になるとさらに深まる疑問(勉強から逃げたいだけなんですけど)についても、冒頭でちゃんと書いてあります。

簡単に言えば、貧乏にならないため…って読めますよね。今の時代にここまで書いちゃうと、炎上しそうですが、現代でも十分に当てはまると思います。読みすすめると、自由とか独立とかいう話も登場しますし、何を学べばいいのかもちゃんと書いてあります。勉強するということはとても意味がありますから、受験期でモンモンとせず、迷わず行ってください。行けばわかります。

さあ最後の問題。「諭吉が作った学校は現在の何大学?」もちろん皆さん知っていますよね?まあ知らなくても生きていけますが、知識というのは、人を自由にし、幸せにする(お金を得ることも含め)ものですので、無いよりあった方が良いと思います。勉強する人生であってください。勉強の基本は読書だと思います。本を読む人生であってください…ってけっきょく読書のすゝめですね。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。つまり、天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また、互いに人の邪魔をしないでそれぞれが安楽にこの世をすごしていけるようにしてくれているということだ。しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい人も、金持ちもいる。また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差と呼ぶべき違いはどうしてできるのだろうか。


その理由は非常にはっきりしている。『実語教』という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。


また世の中には、難しい仕事もあるし、簡単な仕事もある。難しい仕事をする人を地位の重い人と言い、簡単な仕事をする人を地位の軽い人という。およそ心を働かせてする仕事は難しく、手足を使う力仕事は簡単である。だから、医者・学者・政府の役人、また大きい商売をする町人、たくさんの使用人を使う大きな農家などは、地位が重く、重要な人と言える。


社会的地位が高く、重要であれば、自然とその家も富み、下のものから見れば到底手の届かない存在に見える。しかし、そのもともとを見ていくと、ただその人に学問の力があるかないかによって、そうした違いができただけであり、天が生まれつき定めた違いではない。


西洋のことわざにも「天は富貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える」という言葉がある。つまり、人は生まれた時には、貴賎や貧富の区別はない。ただ、しっかり学問をして物事をよく知っているものは、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人となる、ということだ。

 

<引用>
現代語訳 学問のすすめ
著者 福澤諭吉 訳者 齊藤孝
ちくま新書