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【学級通信】(第077号)授業中の内職について考えてみた

授業中の内職について考えてみた

授業中

acworksさんによる写真ACからの写真

第1志望を叶えるために覚悟を決めて勉強して欲しいとは思うんですが、内職しまくりで授業聞かないのはどうしたものかと最近悩んでいます。二年生で文理も別れて、さあ受験勉強スタートだ!って言っているこの時期に、

(受験に関係のない)教科はやりたくないっすよ…

という声も聞こえて来そうですし、授業担当者の先生もやりづらいなと思います。

私は教員スタート時からずっと三年生相手に(受験とは関係のない)教科の授業をしていたので、数々の内職さんとの戦いを繰り広げてきました。パソコン室に来て、電源も入れず、ログインもせず、教科書も開かず、ずっと英単語の勉強している。

「ちゃんと授業聞きなさい」と注意すると、嫌な顔をして人を睨み付け、また英単語の勉強をする。「欠席にするよ」と伝えると、「僕は出席しています」と言い返してくる…

(まあ確かに出席していますし、私も先生として力量も低かったですが…)新人だった私は怒りに震えましたね(笑)。まあそんな子を相手にしながら十数年授業をしていると、授業の聞かせ方や、見せ方が身に付きます。

最近では、ほとんどの生徒が内職せずに授業を聞いてくれるようになりました。

完全に内職していないかはしりませんが、何にもやらない人はいません。

年度はじめの授業では、

「内職は止めてください。せっかく来ている1時間ですから、この授業に真剣に取り組んでください。きっと皆さんにとって価値のある学習ですから」

と言っています。実際受けてみてどうでしたか?価値ありましたか?私は、授業において価値というのが大切だと思っています。

せっかく座っているその一時間に価値があるのか?
そういう時間を提供できているのか?

最近はそんなことばかり考えています。

インターネットで調べれば、ほとんどのことが検索できる時代です。インターネット普及以前は違いました。

どんなに理不尽なルールがあっても学校に行くしかなかった。
どんなに説明が下手くそな先生であっても、その授業を聞くしかなかった。

それしか学ぶ方法がなかったからです。しかし時代は変わりました。

ネットには学校の先生の何倍も分かりやすい動画があり、好きな時間に何度でも見ることができます。居眠りしたら怒られることも、宿題を出さなければ減点されることもありません。

こんな時代がやってくるなんて、夢にも思わなかった先生方は多いでしょう。まだそういう時代になっていることを認識していない人もいるかもしれません。しかし、間違いなくそういう時代なのです。ですから、

学校の授業の価値は驚くほど下がりました。インターネットさえあれば、誰でもいつでも神授業が受けられるんですから、わざわざ学校で受ける必要はないわけです。

先生たちは、「内職してもいいですか?」と聞かれたら、なんて答えるのでしょうか?

先生:「なんで内職したいの?」
生徒:「先生の授業は必要ないからです」
先生:「いつか必要になって役立つかもよ」
生徒:「必要なときは動画見ます」
先生:「そんな態度じゃ減点するよ」
生徒:「寝てるやつも減点されますか?」
先生:「テストで点取れなくても知らないぞ」
生徒:「大丈夫です。赤点とらない程度にやります」
先生:「評価下がってもいいの?」
生徒:「成績気にしないです。というより、そもそも何のために評価ってあるんですか?」
先生:「そういうルールなんだよ!」
生徒:「じゃあ理由はルールだからで、評価の意味はないですよね?」
先生:「(う…)」
生徒:「僕は意味のないことやりたくないです。意味ない時間は過ごしたくないんです。先生の授業は意味がありますか?」
先生:「(我慢できん💢)うるせーじゃあ学校辞めろ!」
生徒:「先生の授業に価値があれば受けますよ!それを示してくださいよ!ネット動画より意味あるんすよね?」

うわ~夢に出てきそうです。自分で書いていて泣きそうです。学校で授業を受ける価値ってなんですかね?…これが私の最近の悩みです。

先生たちは、生徒の時間をもらって、

どれだけの授業ができているのか?
ネット動画とどう違うのか?
わざわざ学校に来ないといけない理由はなんなのか?
生徒はこの学校で授業受けられて良かったと思っているのか?

こんなことをずっと考えていると…あ~もう先生を辞めようかな~って思ったりもするわけです。けど、悲観的なことばかりではありません。この学校でナンバーワンの授業を展開していると(私が)思っている音楽の先生。あの人の授業は最高です。「見に来なよ」とたまに誘われるので見学しに行きますが、あの授業は他の学校では経験できないと思います(そもそも授業を「見に来なよ」って言える先生はなかなかいません)。

先日、見学したのはアカペラの発表会でした。選抜メンバーとしてこのクラスの人達が選ばれていました。担任としても鼻が高いです。普通の音楽の授業がどういうものか知りませんが、今までの学校ではあーいったことはしていませんでした。本校のK先生の授業だから体験できた内容だと思います。

つまり、K先生の授業は、ネットでは見られない価値のある授業だと思うのです。だって、

いつも内職している子も、いつも授業中寝ている子も、しれっとスマホいじっている子も、SHR中にチュッパチャップスなめていてことを注意されたら棒だけ引き抜き、「糖分取った方が集中できるし!」とか言っていた子も、みんなしっかり授業に向き合っているんです。

私のホームルームに価値はないかもしれませんが、音楽の授業には価値があることがわかりますよね?だからK先生には、たくさん給料をあげたいです。

けっきょくは、価値あるものを提供していて、生徒がその価値に気づいていれば、内職することも、寝ることも、チュッパチャップスなめることも、飴以上になめた発言することもないと思うのです。だから、先生方は価値ある授業を目指すべきだ…というのが私の最近の考え方ですが、じゃあ、

価値を感じられなければ内職して良いのか?

というと、そうではありません。

先日、「内職したいんです」という生徒に何て言えば良いんすかね~と、SNSに書いたところ、いろんなコメントをいただきましたので、紹介させていただきます。

(神奈川の先生)

「学習は学習者が1番責任を負うべきだか、学習者に責任を負わせる準備を先生がしっかりとすべきだよね。」

沖縄県の先生)

横山光輝のマンガ(三国志だったから史記だったか忘れたけど)でみた忘れられない言葉。「どんな賢人でも間違った物言いをすることがあります。どんな愚か者でも珠玉の真実を述べることがあります」という言葉を思い出しました。どんな話もしっかり聞かないといけない教訓として捉えました。話の内容が未知のものであれば学ぶべきことだし、既知の内容でもその内容に対する別の視点から捉えて新しい発見をする可能性があるし、なくてもこれまでの経験の再確認としての意味がある、と思いました。何事からも学ぶ姿勢が求められます。一言で言うと「無用の用」なんですよね。これも中国の老子系の書籍を読んで印象に残ってることですが「もし必要なものだけあればよい、というのであれば、君の足元の大地のうち、足が乗っかっている部分以外をすべて削ぎ落として残りは奈落の底にしても大丈夫だ、というのと同じである。もしそうなった場合、とたんに人はそこに必死に立とうとしてバランスを取ることだけに意識を取られ、自由を失うことになる。足をおいていない一見無用に見える大地(余裕・余白)があるからこそ、人は自由に歩くことができるんだよ」というのも思い出しました。僕らの目的は人格の完成。彼らの目的であろう「志望校合格」とは見ているところが違うからこそ起きることなんでしょうが、長い目で見るとどちらの目的がいいかは言わずもがな。それに僕らの教科も人が一生を送る上で意味のある欠かせないことですよ。だから必履修科目になったし、かつての高校で教えてたことが小中にも降りていってるわけですし。受験のために内職をしたいという気持ちも分からないでもないのですが。僕もかつてそうでして、学校一の内職王でした。そして大学で燃え尽きたという反省もあります(また長くなってしまった…)」

(前任校の教え子)

「「面白くなくても聞くべき」というのは話を聞く側の取るべきスタンスであって、話をする側の人間は「話を聞いてもらうために面白く話す必要がある」というスタンスである必要があると思います。「お客様は神様だ」というのは店員側のスタンスであって、客側がそのスタンスで接してしまったらただの迷惑客になってしまうのと同じです。」

いろんな考え方がありますよね。何が正解かはわかりません。まあ私は先生ですので、

授業はちゃんと聞いて、その先生のメッセージに耳を傾け、何を伝えようとしているのかを聞き取れる人間であって欲しい

と願っています。関係ないことからも学べる人と、関係ないことは捨てる人とでは人生の深みは違うと思うんです。

先日、J先生とご飯を食べに行ったとき、「ドラゴンボール理論」「玉ねぎ理論」「イガグリ理論」「ガンジーの言葉」「(映画)硫黄島からの手紙」「(映画)フリーダムライダーズ」「画家レイブラントの良さ」「イスラエルでの村上春樹のスピーチ」などなど、たくさんお話しました。1時間くらいですが、彼の「あふれ出す教養」は止まりませんでした。

教養って、けっして内職では身に付かないと思うんです。

だらだら長くなってしまいましたが、私が言いたいことは、内職なんてしてないで、みんな教養を身に付けて、J先生みたいになれよってことです。