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【学級通信】(第124号)副担任が書いた友人への手紙

副担任が書いた友人への手紙

手紙

2学期になりました。一部で「看護の先生」と誤解されている!?政治・経済の副担任です。

最初の政経の授業、副担任は社会人(てゆーか大人)ではなかったです。ごめんなさい。授業の後、凹みました。その日の夜、布団の中で一人反省しようとしたら、another worldに連れていかれました。人間、同じ失敗をする人間を阿保といいます。またその世界に一歩近づきました(みなさんはanother worldへtripすることなく、目の前の現実から逃げないでね)。

そんな凹んだ日の深夜、(数少ない)知り合いからメールが。そこには彼の母親が亡くなった、ということが告げられていました。

彼は最初入った大学になじめず中退し、再度大学受験をして入学してきたんです。なんだろうな、親切すぎて、人に気を使いすぎて(←それもやりすぎる)、自分のやることが後回しになる、そんな人です。だから、大学でも学生仲間や教授からいいように利用されているいい人なんだけどウザがられている…みたいな。

で、そんな彼の母親が息子を公務員にしたがっていたんです。東京にいるとピンと来ないのですが、地方に暮らす人の中には公務員至上主義者という方が時々いて、公務員が一番正しい進路選択(一般企業を一段下に見る)という信念の方がいるんです。そして彼は(母子家庭で育ててくれた母の願いを叶えるべく)地元の国立大学教授になることを夢見ていたのです。

ところが、彼の指導教授が学生の指導よりも学内政治と言って大学の学長になることに一生懸命な方でした。当然学生の指導は放置。なので彼は大学の後(研究者になるには行くべき)大学院に入れず、大学院を他大学に行く羽目に。しかもその大学院でもうまくいかず、また別の大学院に移って、大学院を終えるときに「研究者としての能力不足」と認定されて、半年遅れの卒業(正確には修了という)という悲劇。それでも彼はすんごく努力して国立大学の教員になったのですが、彼の地元とは全く関係のない県にある大学の教員でした。母親は「早く故郷の国立大学教員になれ」と彼を陰に陽にプレッシャーをかけられていたようです。しかしながら彼は所属校でもいいように使われて、研究や故郷の大学への転職活動もままならないまま、母親が亡くなったことを悔いてる、と泣きながらメールを送ってきたのでした。

私は思います。(彼は)一体だれのために生きているのだろうと。

もちろん大切な母親の期待に応えたいという強い思いはわかります。でもそれは母親が本当に望んでいることなのだろうか、と。一度これを彼に話したら

「あなたははわかっていない、俺は母親の分も頑張らないといけない」

と。はぁそうですか、世間ではこれをマザコンというんですが…とボソッと呟いたら、そんなことわかっている、とも言われました。マザコンが駄目だとは思いません。でも、それが彼の人生を狭めていたんですよね。就職も結婚も勤務先も…みんな母親がどう思うか…親切で人に気を使いすぎる彼のやさしさは彼を幸せにしているのだろうか。彼への返信でこう書きました。

「おかあさまが〇〇(彼の名前)の支えであったと同時におかあさま、という縛りがなくなったんですよね」

「これからは〇〇のために生きるんですよ。おかあさまのために、ではなく。」

こんな返信でよかったのでしょうか。一社会人としてまだ何かが足りないと感じるAM4:00でした…つるかめつるかめ