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【教育雑観】押し付け教育観

【教育雑観】押し付け教育観

卒業式会場


2023-02-24

3回目の担任がそろそろ終わる。

今は卒業イベントの準備をしたり、卒業式の準備をしたりとバタバタしている。

コロナでいろんなことが失われてきたので、卒業イベントもゼロから作っている。

とりあえず、朗読劇、いろんな先生からのメッセージビデオ、思い出ムービー、担任の先生への質問コーナー、そして…教員演奏…というラインナップになった。

できもしないくせにギターを弾くことになった私の左手の薬指は、現在、絶賛、壊死寸前。

担任団が生徒に演奏をプレゼントするなどというベタなことをやるなんて時代遅れだって言われそうだけど、今までやったことないんだから、無理矢理でも他の担任を巻き込んでやるしかないと一ヶ月前に思いついた私を恨みたい。

けど、もうこの先そんな機会は一生ないかもしれないし、ベタなことをやらずに先生っていう立場で何でも知ってそうな顔して生きていたくなかったし、ここで選ばない理由はないんだよね。

最近ずっとこのパターンだわ…

振り返れば、私が新人の頃の先輩たちが生徒の前で演奏していたのは今でも覚えていて、昔の先生がやってたことがすべて正しいとは思わないけど、今よりは随分と情熱的だった気はする。

美化されてることもあるとは思うけど…

「あの子たちに担任の気持ちを感じて欲しいんだよね〜」とか、

「彼らを喜ばせてやりたいんだよね〜」とか、

恥ずかしげもなく職員室で話していたし。

今は、苦手なことはやらなくていいとか、無理に誘うとパワハラになるとか、嫌なことは断っていいとか、そういう文化だから、押し付け的な教育観はどんどん消えているけど、でも、やっぱり、そういうのやりたくなっちゃうんだよね。

だって今の先生たちより、メチャクチャだったあの時の先輩たちの方がカッコ良かったんだもん。

絶対に美化されてるとは思うけど…

呼名のBGMに凝ってみたり、生徒側を向いて答辞を読ませたり、卒業式の退場時は担任は先導しないなんてこだわりがあったり…

そんなこだわりを最近の人たちから感じることはほとんどないわけで、来年、担任も終わることだし、そういう押し付け教育観を新人に押し付ける役割にでもなろーかなーって最近は本気で思っている。

まあ昔の先輩たちと同じようには時代的に難しいだろうけど…

今日は、音楽の先生に無理言って弾いてもらった呼名BGM(仮)を体育館で流す実験に、新人さん2人を無理矢理付き合わせた。

新人さんに、

「あなたたちの学年の入学式の呼名BGMは何だった?」

と聞いたら、知らないって言われたので、

「そういうとこへのこだわりを待ちなさい。自分で選んで用意した曲で呼名をして、その後のホームルームで何の曲かわかったか?とか、生徒になぜその曲にしたのかとか想いを語りなさい。そういう想いを語ることだって生徒たちとの関係には大切なことだと思うよ。この話はとても大切だから新人研修の300時間分にカウントしておくよーに!」

と押し付け的教育観を偉そうにガッツリ押し付けといた。

さらに卒業式へのこだわりとか、校歌への思いとか追い押し付けもキッチリしておいた。

押し付け指導を受けた新人さんがどうなるかはわからないけど、何も考えないで卒業式のBGMを聞く先生ではなく、そこに想いやこだわり、パッションや背景を想像できる先生にはなってほしいなと。

あー今日もレミオロメンの3月9日をコソ練しなきゃな。

指が痛ぇ…