【担任になるアナタへ】NO.2:バランスを保った生活指導
NO.2:バランスを保った生活指導
2023-03-28
オススメ:★★★★★/労力:5/効果:5
日本の学校の生活指導は世界的に標準なのか?
これだけ社会が多様化している時代にアンシャンレジームな指導(そもそも指導って言葉もどうかと思いますが)に意味があるのか?
ブラック校則という言葉が取り沙汰されているのに、これまでの反省をせず、生活指導は成り立つのか?
…そんなことを考えると、思うことはたくさんあります。
が、ここではその議論は置いておきます。
多くの学校において、生徒の最も近くにいる先生(担任)には、頭髪、服装、アクセサリー、言葉使いなどを指導することが求められるでしょう。
ただし、求められるているからといって、スカートの丈に毎日ブチ切れるような指導はしないことです。
そんなことしていたら生徒との距離がどんどん広がっていきます。
私の経験上、ブチ切れた指導をして良かったことなどありません。
最終的には生徒から、
「何でダメなんですか?」
と詰め寄られて、
「あなたのためだから!」
「ルールを守ることが大切なのよ!」
という毒親チックな説明しかできず、
(あーけっきょく自分の言うこと聞かせたいだけなのね)
と思われるのがオチです。
いくら校則などで決められていても、それを普段から100%守るのは不可能です(まあできる学校もありますけど)。
生活指導においては、抜きどころと、締めどころのバランスを調整する感覚を身に付けてください。
私が担任をしていた学年は「TPO」という言葉を多用していました。
それは、生活指導を通じて社会での振る舞い方を学んで欲しかったからです。
時と、場所と、場合を考えた振る舞いや発言は、社会生活を営む上での基本だと考えています。
「ハズしてはいけない場面でハズさない」
それが私たちの学年での生活指導の目標でした。
ですから、常に100%の指導ではなく、緩めたり、締めたり、目を瞑ったり、お願いしたり…そういうことを繰り返しました。
外から見ていた先生たちからすれば、生活指導のできない学年だという批判もあったかもしれません。
しかし、私は信念を持って緩さと厳しさを両立したと思っています。
この緩さと厳しさのバランスが分かっていないと、ゼロか100かの指導しかできなくなります。
生活指導の基準やルールについて教員間で話し合うと、
「ルールを決めてくれないと指導しづらい!」
「もっとルールを明確にしてくれ!」
「べつにルールは何でもいい!決めたらやるし、決めなきゃやらない!」
という意見が必ず出ます。
新人の頃、全く同じことを思っていたので、気持ちはよくわかります。
あれからいろんな経験をして、生活指導はそんなに単純な話ではなかったということがわかりました。
けっきょく教育とはバランスをとりながらやるものだと思うのです。
だから、とてもめんどくさく、とても時間がかかるのです。
学年集会、定期テスト、進路ガイダンス、たまに抜き打ち…
「私たちは皆さんのことを見ていますよ」
「何でもありではないですよ」
という雰囲気を作りつつ、普段の声かけとのバランスを保ってください。
一番ダメなのは放置、野放しです。
何をしてよくて、何をしてはいけないのか?
普段の学校生活の中で、集団生活における善悪の感覚を身に付けていないと、大きな事件や事故に発展することもあります。
大きな問題が起きてから、普段は何も言わないのに、集会では説教が始まる…
だいたいの場合は、何を怒っているのか意味不明な状態になります。
逆に、普段も説教、集会でも説教の場合は、恨みを買います。
締め付けすぎると、夜の校舎で窓ガラスを壊して回るか、盗んだバイクで走り出すだけです。
しつこいようですが、大切なのはバランスを保った生活指導です。
しかし、これがなかなか難しいのです。
この難しさは、生徒たちとのコミュニケーション、先生たちとのコミュニケーションの難しさだと思います。
自分の考えと、相手の考えをどうやって納得解に導くのか?
年齢も、経験も、価値観も、育ってきた環境も違う者同士のコミュニケーションの難しさがそこにはあります。
生活指導に正解などありません(暴言、暴力、人権侵害などの不正解はあります)。
まずは担任団のコミュニケーションを深め、バランスを保った指導について、バランスを整えてみてください。