学級通信たまに教育雑感ブログ

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【学級通信】(第088号)want思考

want思考

挑戦

fujiwaraさんによる写真ACからの写真

私が来た当時の本校は、チャラチャラした学校で、そのときの3年生は「海の家」と呼ばれていて(名付けたのはN先生)、それはそれは勉強しない学年でした(笑)。「イエーイ!ウェーイ!」って感じの子たちが多く、ハロウィンのときの5時間目の授業なんてクラスの半分以上がお化けでした。まあそれはそれで飽きなかったです(笑)。それまでの本校だとどんだけチャラチャラしていても、3年になると一気に勉強して、それなりの結果を出していくっていうのが売りでしたが、海の家学年はそうはいかず進路結果としては厳しいものになりました…。

次の年の3年生は、「墓場」って呼ばれていました(名付けたのはN先生)。おとなしい学年で、担任は比較的厳しい先生方が多く、「やるべきことはしっかりやれ!」という雰囲気がヒシヒシと感じられた学年でした。「ウェーイ!」みたいなのが好きな人たちからは、「本校の良さが失われた」とか言われていましたが、「やることはやるよ!」という雰囲気は(私は)好きでした。

そのあたりから、「やっぱりちゃんと勉強しないとダメよね」という空気が定着し始めて、3年生の模試回数も増えたり、推薦に頼らずに一般入試で挑戦していこうという流れが作られたりしました。

その頃、進路指導部で一緒に働いていたN先生が言ったことで印象的だったのが、

「ついに勉強させる学校になっちゃったって感じですね~けど、自由な学校だから、勉強するかしないかも選ぶことができた方が良いっていうか…」

という話です(確かこんな感じ)。そのときは、

(いや~いくら自由な学校だからといって、勉強しない自由はないっしょ~そもそも勉強しない自由が選ばれた時点でそれは学校なのか?)

ってなことを感じていましたが、最近では、勉強なんてものは人に強制されてやるようなものじゃないし、N先生のおっしゃっていたこともアリなのかな~とか考えるようになりました。

私が学級通信でいくら「勉強しなさい」と書いても、親がいくら「勉強しなさい」と口酸っぱく言っても、自分でヤル気にならなければ意味はないのだと思うのです。

最近、読んだ本に「want思考」という話が書いてありました。want思考とは、「OOしなくてはならない(mustとかshould)」という考え方を捨て、「OOしたい」と考える方がうまくいくという思考のことです。たしかに、OOすべき…より、OOしたいの方が行動できる気がします。

他にも「ゴールデンサークル」という話もあって、人間は「何(what)をどうやるか(how)」に考えがいきがちだけど、大切なことは「なぜそれをやりたいのか?(why)」だという内容でした。さらに、円の一番内側がwhy、次がhow、次がwhat。内側から考えることが重要だと書いてありました。

 

ゴールデンサークル

私的には、whyやwantが一番大切だと考えています。

「OOがしたい!なぜならOOだからです!」

これがモチベーションになるのだと思います。そのうえで、

「何をどのようにやるか(whatやhow)」

が来るのであって、内側がない状態で、

「英単語を毎日100個覚えましょう!」
「模試で偏差値60目指すには、まずOOをXX時間やって…」

とかいうwhatやhowばかりに話が進んでも、けっきょく勉強しないと思うのです。だから皆さん今一度、

「自分は何がしたいのか?」
「自分はどうなりたいのか?」
「それはいったいなぜなのか?」

ということを深く考えてみてください。wantやwhyは与えられるものではありません。自分で考えたり、選んだりしてください。それが、N先生が言うところの「勉強する自由の選択」だと思います。そもそもやりたいことなんて与えられるものではないですしね。

年末の学年集会で、「今、2年生のうちにやっておくべきこと」という冊子が配付されました。各教科の先生がhowやwhatを書いてくださっています。素晴らしい冊子です。この冊子の通りに勉強進めればきっと結果が出るでしょう。しかし一番大切なのは内側にあるwantとか、whyの部分です。何がしたいのか?を中心に行動する三学期であってください。