【教育雑感】欲しくても欲しいって言えない
欲しくても欲しいって言えない
FineGraphicsさんによる写真ACからの写真
ある日、先生たちで卓球をやっていた。私は準備室で仕事をしていたので、卓球が行われていたことなど知らなかった。職員室にたまたま寄ったとき、今から着替えて卓球をしに行く同僚の先生から、
「卓球行かないんですか?」
と言われた。私は、(ん?)と一瞬なったが、
(あ~どこかでみんなで卓球やってんだな)
と察した。そしてお決まりの、
「いや~誘われてないんで行きませんよ」
という台詞を返した。私と一緒にいた先生も、
「ボクも誘われてないんで、行けないですね」
と言っていた。声をかけてきた同僚も主催者ではないので、それ以上何も言わずに卓球へと去っていった。
そのあと、主催者だった先生に、
「なんで来ないのよ~誘われてないなんて言わずに、来ればいいのに!別に来られたんでしょう?」
と言われた。
この人は、みんなに愛される朝ドラのヒロインのような方。天真爛漫でイヤミがない。誰とでもワイワイできる。1年目からすでに数年一緒に働いていたような溶け込み方をしていた。
話は変わるが、私は学級通信を欲しいと言われた先生には配っている。欲しいと言われなければ配らない。全員の先生の机の上に置いていったら、偉そうに思われるかもしれないからだ。
だから、先生方に配布するときには席を飛ばすこともある。すると、配られなかった席の人はそれが気になるようで、学級通信をもらった人に密かに見させて貰っているらしい。
ある日、朝ドラのヒロインがやって来て、
「(学級通信をもらっていない)OO先生が、あなたの学級通信を他の先生からもらって、嬉しそうに読んでたよ~」
と報告してくれた。そのあとに、その先生はこう言った。
「欲しいなら欲しいって言えばいいのにね」
私は、欲しいのに欲しいって言えない人の気持ちがわかる。不安、プライド、自信のなさ、忖度、恥ずかしさ…言葉ではなかなか表しにくいが、とにかく気持ちはわかる。
朝ドラのヒロインとしてみんなに愛されて育ってきたような人たちは、
「言えばいいのにね」
「来ればいいのにね」
と言うけれど、世の中そうできない人の方が多いと私は思っている。子どもたちには、
「大丈夫、みんな自分が思っているほど気にしてないよ」
「仲間にいれてって言っても、そうそう嫌がられることはないよ」
とアドバイスをする。しかし、実際、大人だって不安なのだ。
誘われてない遊びや飲み会には行きづらいし、
貰ってない資料を欲しいとは言いづらいし、
飲食店で去っていく店員を呼び止めることすらできない…
言えたら楽なのはわかっているし、嫌がられないとは思うのだけど、それでもできない人たちがいるのだ。
このことを朝ドラのヒロインに言ったところ、
「そういう人たちも一部いるのは知ってた」
と言っていた(笑)。やはり、朝ドラのヒロインは、朝ドラのヒロインであって、そういう天真爛漫さが、人から好かれ、愛され、そして、憧れるのだろうなと。
【教育雑感】インスタを使ってみて(かもしれない…)を考えてみる
インスタを使ってみて(かもしれない…)を考えてみる
インスタを数日使ってみて…ストーリーズに「既読」が付くという機能は、中高生の人間関係に影響を与えているかもしれない?と想像してみる。
「タイムラインの投稿に「いいね」は付けてくれないけど、ストーリーズは見てるってことは、けっきょく、この子、私のことチェックしてるってことだよね。けど、リアクションはないのよね。マジなんなの?」
…的な感じがあるかもしれない。そうすると、「いいね」と思っていなくても、「いいね」を押さなきゃいけないという同調圧力が働いたり、(誤操作も含め)仲良くない子のストーリーズをたまたま見てしまい、「既読」が付いたたことで疑心暗鬼に落ちいったりするかもしれない。それがけっきょくリアルの人間関係にも影響を及ぼして、友人やクラスの雰囲気が変わるかもしれない。(そもそもストーリーズは、何となく誤タッチしたり、流れで見てしまうUIになっている気がする)
上記はあくまでも想像だけれど、自分が実際に使ってみて、「いいね」と「既読」はついつい気になってしまうものだということはわかった。
LINEの「既読」も、mixiの「あしあと」も、SNSにそういった機能はつきものだけど、
「あなたのことをSNSで見ているけど、何も反応はしない」
というSNS特有のこの雰囲気は、どうやって慣れていったらよいものだろうか。全く知らないアカウントだったり、見た痕跡が残らなければ気にならないが、知っているアカウントの自分に対する行動はどうしても気になってしまう。
SNSの雰囲気というは、教育の中で教えるのは難しいし、フォローやフォロワーの集団によって変化するし、twitterやインスタやfacebookといったプラットフォームによっても変わってくる。中高生の場合、そこに学校内での関係性も絡むので、さらに複雑になっている気がする(あっ…だから複数アカウント作るのか!?)
やはり、SNSは、
「上手に人間の心理を刺激するように設計されていて、逃れられないようになっている」
というのが、とりあえずインスタを数日使ってみての感想。
【教育雑感】教材サイトは今後の授業における1つのテーマ
教材サイトは今後の授業における1つのテーマ
2年前から教材サイトを作りはじめた。とある研修会で教科調査官に、
「皆さんの作った教材やノウハウを幅広く伝わるために、教材サイトなどを作ることは有効な手段です」
…的な話を受けたことがきっかけだ。研修会が終わったあと、
「教科調査官から宿題がでた…」
「教科調査官の課題をやらねば…」
的な感じに私の周囲は動き始めていた。実際に教材サイトを作り、運営していた人たちが何人いたかはわからないが、私はその話を受けたあと、気持ちが消えないうちに勢いで教材サイトを立ち上げた(研修会に参加して上がったモチベーションは動かないとすぐに失われる)。教材サイトは元から興味はあったし、私にとっては良い機会となった。
使用したサービス
WordPress、Wix、Jimdo…などなど、迷いに迷ったが、プリントデータのアップロードを考えると、けっきょくGドライブ管理になるだろうと思い、Googleサイトを選択した。見栄えが良いとは言えないが、教材サイトとしての管理ならば十分だと判断した。
著作権の問題
スライドをアップロードするとなると、教科書の図版や、Webサイトから持ってきた画像の著作権が課題として出てくる。教科書会社に連絡したが、期間限定のモニター契約になるとのことだった。期間限定では過去資料を掲載することができなくなるので、教科書の図版掲載は断念した。スライドの図版は、以下の図のように教科書のページ数だけを掲載することで対応した。
生徒の反応
教材サイトを稼働させてから3年経ち、ようやく生徒の反応が変わってきた。今までは「正直あまり見ていなかった」という意見が多かったが、今年になってコンテンツ(過去問の掲載など)も充実したせいか、アンケートでの肯定的な意見が増えた。主なアンケート結果を掲載する。
【アンケート結果】
本授業では、教材サイトを公開していました。役に立った、正直見ていなかった、もっとこうして欲しいなど、率直な意見を聞かせてください
●テスト前日に毎回そんなのがあったなって思い出してみていたけどすごく役に立ちました。教材サイトの公開は必要です!!!!!
●授業でやったところの振り返りが出来たので、助かりました。
●役に立ったけど、一個一個の動画が少し長くて見るのが大変だった。
●あんまり見ていませんでしたが授業でノートに写しきれなかった分とかを家でゆっくり移すことができたのでスライドを公開してくれていたのは助かりました。
●単元ごとに説明動画が貼ってあって、自分で説明動画を探す必要がなかったのですごく助かった。説明に使われていた、スライドなどもダウンロードできたのはすごくありがたかった。
●とても役に立った。授業中にすべてをメモするのは無理だから教材サイトはすごくべんりだった。
●教材サイトはスマホでも見れるという点はよかったのですが、そこに貼られている動画の内容が難しかったのでもう少し身近なものでたとえるなど、わかりやすい動画にしてほしいです。
●試験前などはすごい頼りになりました。プリントに記入し忘れていたとこもあったのでよかったです。
●ほんとに役に立ちました。授業を聞いてもうまく理解が追い付かないときや、内容を忘れたときなど見返すことで、深く理解をすることができました。
●スライドにもっと説明を増やしてほしい。
●プリントがなかったりしたときにみれたのですごく役に立ちました。
●テスト前に見たい時などに見ることができて役に立った。先生が赤いペンで書いた部分も見れるようになればもっといいと思う。
●テスト前に見ることで、記憶がよみがえってきて分かりやすかった
●授業できていてなかったところとかみなおせるしスマホで見れるからめちゃよかった。
●教材サイトは一番初めのテストの時から使っていて、とても役に立った。移し忘れちゃったものを、もう一回見れるのはほんとにありがたいです。
●教材サイトは本当に助かりました!!!!あれがなかったらもっとテストの点数低かったと思います。
●パワポが見れるのは良かったです。もっと例題を追加してほしかったです。
●役に立った。テストギリギリで勉強をし始める私にとって教材サイトは天使に見えた。
●練習問題の解説ほしい(独学するときわからな過ぎて諦めたことがあった(笑))
●とっても役に立った。更新のスピードあげてほしかった。テストの度更新してほしい。
課題と展望
アンケートから見えてきた課題を三つに絞る。
1.動画解説
→自分の授業用にカスタマズするには、自ら動画を作成する必要があるだろう。
2.解説資料
→ブログを使って授業資料を開設しているページもある。そうったものを参考にすれば、動画ではなくても授業をwebページに落とし込めるかもしれない。
3.問題演習
→web上でテストの練習問題などを提供できる仕組みがあれば、定期考査前の効果測定のような利用もできる。CBTをwebサイトにどうやって実装するのかは課題だが、効果は高いと予想できる。
結論
どの授業であっても、今後はオンラインとの融合はテーマになると考えている。教材サイトの制作は今後も研究を進めていく予定。
【教育雑感】保護者のためのInstagramガイドを読んで
【教育雑感】保護者のためのInstagramガイドを読んで
先日読み終わった、「親が知らない子どものスマホ」(著:鈴木 朋子)に「保護者のためのInstagramガイド」というものが紹介されていた。
中高生はInstagramに夢中になっている。勤務先の生徒も、Google検索をしている先生を見て、
「え~ググってる~ウケる」
と言っていた。最近は何を調べるにもInstagramで検索するらしい。
(わからいことは、普通ググるだろ?)
とオジサンの常識では思うのだが…。
若い子たちの感覚を学ぶためにはとにかく使ってみるしかないと思い、先日ようやくInstagramのアカウントを取得した。今後、いろいろ試そうと思う。
SNSの世界は、やってみないとわからないことの方が多い。とにかく体験してみることが必要だと考えている。Twitter、LINE、facebook、youtubeなども同じで、情報の収集も発信もやらずに情報教育はできない。
「保護者のためのInstagramガイド」には、自分がこれからInstagram利用するうえでも、情報モラルの指導をするうえでも、活用できそうなことがたくさん書いてあった。教材としてそのまま中高生に読ませても良いかもしれない。
1.Instagramの年齢制限
13歳以上でないとできないということを恥ずかしながら初めて知った。アカウント作成時に年齢入力はないようだ。他のSNSやwebサービスの年齢制限が気になったので調べてみると、
● Twitter → 13歳以上
● Facebook → 13歳以上
● youtube → 13歳以上
※ youtubeはGoogleアカウントと一緒
となっていた。すべてのサービスにおいて13歳以上を基準としていた。保護者が代理でアカウント作成することも禁止しているものもあった。
2.SNSを使うための最善な方法
「敬意を払うことで安全性が高まる」
「(SNSの投稿は)人間性を映し出すもの」
という表現がなかなか考えさせられる。投稿に自分の人間性が出ているということを意識すれば、トラブル防止になるだろう。できれば投稿ボタンを押したあと、
「この投稿があなたの人間性が出ていることを理解していますか?はい、いいえ」
などと出てくれたら、SNS上のトラブルも減ると思う(投稿数も減ると予想できるが…)。
3.子どものアカウント非公開・公開
Instagram側はハッキリと「非公開に設定することを推奨します」と書いている。公開することのリスクを丁寧に説明することは難しいが、Instagram側が推奨しているという言い方で子どもたちにガイドができるのは、ICTに詳しくない保護者にとって助かるはずだ。
4.自分の投稿の影響
公開・非公開に関わらず、自分の投稿の影響力を考えることは重要だと思うが、写真に写っていない子のことまで考えなければならないことは難しいかもしれない。大人であっても、どこまで意識して投稿しているかはそれぞれ違いがある。例えば、自分の子どもの画像をアップしている保護者は、子どものことを考えているのかと言われれば、賛否が分かれるだろう。自分の投稿の影響は、見る人にとって異なるという点が非常に難しい。
5.複数アカウントを持つこと
Instagram側も複数アカウントを推奨しているように読める。本アカ、サブアカ、裏アカ…そういうものを子どものうちから使い分けないといけないあたりにSNS疲れやストレスが溜まりそうな気がする。子供たちに話を聞くと、ほとんどの子が複数のアカウントを使い分けている。本アカ、趣味アカ、裏アカ…当たり前のように使い分けている子たちを見ると、そこまで自分をキャラ分けしなくてもよいのではないかと思う。「異なる自分の側面の表現している」というと聞こえは良いが、現実世界において本当のキャラを隠して苦しんでいるのではないかと心配してしまう。
6.投稿は自分を表す
本当の人間性はSNSではわからないが、SNSで判断される時代になっていることは間違いない。就職でもSNSをリサーチされるという話を聞いたことがある。ここまで書かれると怖くて投稿できない気もするが、最近では「インフルエンサー採用」というものもあるらしく、SNS上での自分の表現も、ある意味では将来への活動に繋がっているのかもしれない。
7.まとめ
リアルな交流が子どもたちにとって最も重要ということはInstagram側も認めている。つまり、現実のInstagramが「ちょっとした時間に友達とやりとりするツール」にはなっていないということを知っているということだろう。子どもたちがInstagramにハマっている現状の解決策をユーザーや保護者に委ねるだけでなく、技術的解決策の提供も期待したい。
8.感想
私の周囲ではTwitterやfacebookに「リア充投稿」はなくなった。リア充投稿を唯一許容してくれるSNSがInstagramだと思うと、Instagramは子どもたちにとって自分を認めてもらえる最後のSNSなのかもしれない。しかし、InstagramはあくまでもInstagramであって現実を表しているものばかりではない。作られた世界と現実の違いというものをしっかりと認識しないと、虚構の自分を追い求めることになる。虚構を虚構として楽しめていれば良いが、虚構と現実が同じだと勘違いしてしまうと、虚構と現実のギャップに気が付いたときに苦しくなるだろう。SNSの空気感や影響力という今後も変化していく難しいものを、どうやって子どもたちに気づかせていくのか。大人でも見極めることができない世界を子どもにガイドしなくてはならないというのは、とても大きな課題だと感じている。
【教育雑感】「映像研」を観て、育てたい生徒像を考える
「映像研」を観て、育てたい生徒像を考える
TVアニメ『映像研には手を出すな!』OPテーマ「Easy Breezy」
「どんな生徒を育てたいのか?」
という言い方をすると何だかおこがましいが、
「こういう風になって欲しい」とか、「こういう集団になって欲しい」
とか、そういうことはどうしても考えてしまう。
最近、NHKで放送している「映像研には手を出すな!」というアニメを観ている。このアニメは、
「高校に入学した3人の高校生が映像研究部を作り、アニメ制作に奮闘する」
というストーリーだ。3人のキャラクターが個性的で、アニメ制作の裏側なども描かれているところがとても面白い。
そして何より、
「自分たちのやりたいことを本気でやっているところ」
に毎回、感動している。それぞれがそれぞれの個性や能力を発揮して、苦労して、努力して、壁を乗り越えて、評価されて、認められて、さらに新しい創作へと進んでいく姿を見ると、
「こうやって、自分で考えて、自分(たち)のやりたいことに打ち込んでいく生徒(たち)を育てたい」
と心のそこから思う。
勉強もソコソコ、部活もソコソコ、趣味もソコソコ、行事もソコソコ、とりあえずSNSで映えればOK的な考え方ではなく、自分のやりたいことに本気で打ち込んで、周りを驚かせてしまうような、私の想像を越えてくような、そういう生徒(たち)になってもらいたい。
やりたいことを自ら見つけ、チャレンジする生徒(たち)を育てるにはどうしたら良いのか?ほうっておいてもダメだろうし、あれこれ手伝ってもダメだろうし、そもそもやりたいことがない子たちの方が多いだろうし…
「先生として、どうすれば良いのか?」
そんなことをモンモンと考えていて、昔読んだ「これからの世界をつくる仲間たちへ(著:落合陽一)」を思い出した。
コンピュータに負けないために持つべきなのは、根性やガッツではありません。コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」です。コンピュータには「これがやりたい」という動機がありません。目的を与えれば人間には太刀打ちできないスピードと精度でそれを処理しますが、それは「やりたくてやっている」わけではないでしょう。いまのところ、人間社会をどうしたいか、何を実現したいかといったようなモチベーションは、常に人間の側にある。
落合陽一さんの言う通り、 やはり大切なのはモチベーションだろう。先生が動機を与えられる人になれれば、私もAIに負けないはずだ。そして、「やりたくてやっている」生徒たちがいる学校は、きっと毎日が楽しいに違いない。
やりたいことを一緒に見つけてあげて、
そのための環境を一緒に作ってあげて、
壁にぶつかったときには一緒に考えてあげる
できれば最小限の関わりで…
そんな人に私はなれるだろうか?
成長する日々は続く…
【教育雑感】「ヤバい先生」
学校には「ヤバい先生」と呼ばれる人たちがいる。なぜヤバいのかは言葉ではなかなか説明できない。
「あの人はムチャクチャだ」という人もいれば、
「あの人はとても真面目だ」だという人もいる。
「あの人はピュアだ」という人もいれば、
「あの人はズルい奴だ」という人もいる。
「ヤバい先生」には賛否両論が常に付きまとう。私はそういう人たちの強烈なパーソナリティーを面白いと感じられる側の人間だと思っている。そういう人たちを許せなかった時期もあったが、やはり「ヤバい先生」には魅力がある。
思い起こせば「ヤバい先生」は昔からいた。
● 誰も使っていない部屋を占拠してる人
● 1日何しているかわからない人
● 授業では自分の趣味の話しかしない人
全ての学校を調査したわけではないが、どの学校でもこういう先生は必ずいたはずだ。
彼らに共通するのは、
「生徒への影響力がすごい」
「教員からは賛否両論で存在感が強い」
「熱狂的なファンがいる」
という点。強烈な個性には必ず好き嫌いが存在する。
最近、「ヤバイ先生」たちは少なくなってきたように思う。先生に求められるものが時代とともに厳しくなったからなのだろう。
「保護者からクレームをもらうかもしれない…」
「職員同士でコミュニケーションをとりましょう…」
「管理職や上司へのホウレンソウはしっかりしなさい…」
そういう世界で、強烈な個性を出し続けることは難しい。
自分の高校時代にいた「ヤバい先生」も、駆け出しの頃一緒に働いていたのに怖くて話しかけられなかった「ヤバい先生」も、最後の生き残りだと言われて続けてそろそろ引退を迎える「ヤバい先生」も、みんないなくなってしまうのだろうか?
好き勝手に、やりたい放題、ムチャクチャやることが教育だとは思わないし、先生としての資質や社会から求められているものは十分に理解できるし、「ヤバい先生」になりたいわけでは全くないけれど、そういう人たちがこの世界からいなくなってしまうのは何だか寂しい気もする。
「ヤバい先生」たち何を学ぶのか?
数年前に臨床心理士さんの講演会で言っていたことを思い出した。
【とある臨床心理士さんの講演会より】
「子どもの発達には、情緒的応答性(共感的に応じること)の高い養育者が必要だが、同時に多様な人間関係も必要。予防注射は薄めた毒を体内に入れることで免疫力があがる。社会で生きていくためには、センスのない先生や、いじわるするクラスメイトも必要。「もっといい先生が良かった」「あんなクラスメイト嫌だ」「うちの子にはこう接してほしいのに…」「え?そんな子がクラスにいるの!」と思ってしまうが、成長には必要なことだったりする。」
センスのない先生、キレどころのわからない先生、趣味の話しかしない先生、いつも不機嫌な先生…そういう(ちょっとこの人は…)と思ってしまうような人たちも多様な人間関係の一部であって、子どもたちの成長には必要なのかもしれない。
【教育雑感】教育系ユーチューバーと授業力
教育系ユーチューバーと授業力
C-Picturesさんによる写真ACからの写真
動画教材を作ろうと思いながらも後回しにしていたが、ここ最近立て続けに教育系ユーチューバーの動画を見て気持ちが上がってきた。
「やはり授業でYouTubeを利用しない手はない」
新型コロナの影響で遠隔授業などが注目されているし、手を出すなら今な気がする。
youtu.be
最初に見たのはヨビノリさんが文科省で講演してきたという動画。ヨビノリさんは、大学数学をわかりやすく解説している教育系ユーチューバー。上記の動画は文科省の人たちを相手にユーチューバーについての講演をしてきたという内容。教育系ユーチューバーがどういう人たちなのかとても勉強になる。
この動画を同僚の先生に教えたところ、次の動画を紹介された。
youtu.be
動画に登場するムンディ先生は、福岡県の公立高校で働く現役の先生。その先生が動画授業について語っている。分業制の話は私にとって衝撃的で、
「ついに先生に求められる授業力の中身が変わる!?」
と本気で考えさせられた。
さらに、最近話題になっているオリラジの中田敦彦さんと、ムンディ先生のコラボ動画も見た。
youtu.be
芸能人は喋りも上手く、インパクトもある(ムンディ先生も上手い)。先生よりも芸能人が話した方が面白いのは間違いない。そうなると、
「料理研究家(授業や教材を研究)とシェフ(材料を元にアレンジし提供する)」
の話がとてもよく理解できる。
芸能人が教育系ユーチューバーになると、先生に求められてきた授業力の定義が変わってくると思う。ある自治体では授業力を、
1.使命感、熱意、感性
2.児童・生徒理解
3.統率力
4.指導技術(授業展開)
5.教材解釈・教材開発
6.「指導と評価の計画」の作成・改善
の6つの要素で定義している。これらの要素で、
「ICTで置き換えられないものはどれなのか?」
誰かが作ってくれた質の高い動画教材で学習が成り立つのであれば、
「授業力とはいったいなんなのだろうか?」
モンモンと考えてしまう話だが、そろそろ真剣に向き合わなければならないのかもしれない。
(教育系ユーチューバ―には勝てないかもしれないが)とりあえず、
「自分の授業に沿ったオリジナル授業動画の開発」
はしていきたい。自分の授業内容や進度にマッチしたものは、自分の授業をリアルに受けている生徒にとって効果が高いと思う。
自分で作ったオリジナル授業動画が、
「補助的なものとしての利用になるか?」
「リアル授業の形態を大きく変えるか?」
はわからないが、
「リアル授業+ネット授業の融合」
は今後の研究テーマの1つとしておきたい。
【教育雑感】新型コロナ対応で休校になって思うこと
新型コロナ対応で休校になって思うこと
新型コロナウィルスへの対応により、ほぼすべての学校が一斉休校になった。週末は試験を作ったり、試験明けには課題を提出させたりと計画していたが、全て白紙になった。卒業式も無観客、予定していた卒業イベントも中止となった。春休み中の部活働もなくなった。全部の予定がなくなった。
小学校の先生をしている教え子から連絡が来た。そこには、
「こんなにやりきれないことあります?」
と書いてあった。とても気持ちはわかるが、私は東日本大震災を(教員として)経験しているので、あまり心は揺れていない。こういうときは、なるようにしかならないという諦めみたいな感じもあるのかもしれない。東日本大震災ときは、
電車は動かない…
電話はかからない…
電気は止まる…
いつまでこの状況が続くのかわからない状況で、電車やバスも混雑していて、これからどうなるのか…とみんなイライラしていて、みんな不安だった。
それに比べれば、(マスクや消毒液、トイレットペーパーは売り切れているものの)水が飲めるのと、電気が止まっていないというのは救いかもしれない。もちろん未知のウィルスは恐ろしいし、いつ収束するのかわからない状況は同じであるが。できれば、このまま感染が拡大せずに終わることを祈るばかり。
こういった緊急事態のときはICTの力が注目される。東日本のときもtwitterが途切れなかったことが注目されていた。今回は一斉休校により3月の授業がなくなったことで、遠隔授業、ネット授業、ライブ配信などが話題になっている…。EdTech系のサービスも期間限定で教育関係者に無料でサービスを提供し始めた。
www.learning-innovation.go.jp
こういう経験によって、平常時での取り組みを見直す動きに繋がっていくことを期待したい。ICTの力があれば、
「学びを止めない」世界の実現は可能だろう
し、GIGAスクール構想の実現によってPC、タブレットなどの配布やインフラ整備が整えば、災害や緊急事態も無理なく乗り越えられるだろう。社会を守る力としてのICTを強く感じる今、情報教育の重要性を再認識している。
【教育雑感】もっとやること指示してください
もっとやること指示してください
新人の頃、先輩の先生と一緒にTTの形で授業を担当していた。新人だったこともあり、先輩の先生と一緒に組ませてもらえたことは本当にありがたかった。他校の新人は一人で教員生活をスタートし、(学校の仕事はともかく)教科指導には苦労していたようだ。そういう話を同期から聞くと、私は本当に恵まれていたと思う。
しかし、そういうことは後になって感じることで、当時の私は理解できなかった。
先輩は、
「こうしなさい」
「もっとこれをやりなさい」
「それをやってはダメです」
なんてことは一切言わず、かなり自由にさせてくれる人だった。しかし私は何をして良いかぜんぜんわからず、もっと命令してもらいたかったし、もっと指示をしてもらいたかった。
ある日、
「もっと何をしたら良いか言ってもらえると助かります」
と先輩に言ったことがあった。すると先輩は、
「あなたは自分で考えられる人だから、自分で思い付いたことをいろいろ挑戦すると良いよ」
と返してきた。そのときは、
(あ~、そういうことじゃなくて、もっと指示が欲しいんだよな~)
と思ったが、今になって思えば本当にありがたかった。
あれから十数年、指示待ち状態になっている同僚を見ると、先輩が言ってくれた言葉のありがたさを思い出す。一緒に働けたのは3年間だったけれど、あのときの言葉が今の自分を作っている元になっている。
【教育雑感】ブログを復帰させる
ブログ復帰
4年前にブログを始めようと思って、いくつか記事を書いたもののぜんぜん続かなくて終わった…。ホームルーム担任のなって忙しくなり、書く暇もなくなり、教科の研究をしなかったわけではないけれど、ブログまでが手が回らなかった。
卒業生を出すにあたって、自分の振り返りも兼ねてブログを復帰させようと思う。登校日時も編集できそうなので、担任になってから書き続けた学級通信を投稿していく予定。
【学級通信】(第147号)思い出の学校、思い出の街
思い出の学校、思い出の街
令和2年が始まりました。昨年は平成32年なのか令和元年なのか、なんだかよくわからない感じで、二つの年号を過ごしたせいか、あっという間でした。皆さんも高校生活が“秒”で過ぎていくことを感じていますよね。入学したと思ったら、修学旅行も終わって、気が付いたらセンター試験ですよ。信じられますか?進路の決まった人も、勝負のセンター試験+個別入試の待っている人も、ぼちぼち終わる高校生活をお楽しみください。最後の授業、最後のHR、最後の学年集会…本当に本当の最後の1週間が今日から始まります。
ぼちぼち卒業がくると思うと急に寂しい気持ちになります。ずる休みにイラつくことも、毎日遅刻してくる子にムカつくことも、ホームルームで話をしているときにいちいちツッコミをいれてくる子をあしらうことも無くなるのだから、ストレスが軽減されてスッキリするのではないか?と思うかもしれませんが、寂しいものは寂しいですよね。まさか、これが空の巣症候群!?
私は本校に長くいるので、そろそろ去るときがやってきます。今年いなくなるかどうかは離任式をお楽しみください(笑)。ちなみに離任式のときに皆さんは卒業していますので、基本的には登校しません。もし、お世話になった先生の最後に立ち会いたいのであれば、ちゃんとした格好で来るならありかなとは思います(だいたいその時期は金髪にしている人たちがいるので)。
ちなみに公立学校の先生は、6年を基準に異動します。定期異動実施要綱というのがあって、そこで決められています。初任者(いわゆる新人さん)は4年が規定だった気がします(たしか)。
私は非常勤時代が2年、最初の公立学校が4年、次が5年、本校が6年になるので、今までで最も長く同じ職場にいます。なので、本校にはとても思い入れがあります。無くなった体育館、崩れ去った旧校舎、超狭いパソコン室…思い出すだけで何とも言えない気持ちになります。
思い出は学校だけではありません。この街にも思い入れがあります。皆さんもそうですよね?そろそろ終わりが近くなったせいか、いつも当たり前だった光景に、ノスタルジーを感じたりしませんか?
● 駅前の桜
6年前、異動のストレスもあり、気持ちが沈んでいた私の気持ちを明るくしてくれたのが駅前の桜です。改札を抜ける瞬間に目を奪われたのを覚えています。今は少し花付きが弱くなった気がしますが、私の思い出ランキング上位に入ってきます。
● 私立学校の交通整理のオジサン
コーヒーショップの間の道路でいつも小学生を誘導しているオジサンというかおじいさん。わかりますか?あのキビキビ動いているおじいさんです。あの人、6年前からずっと変わらないんですよ。あの動きで小学生の安全を毎日守っているわけです。真面目で誠実で厳しい人だと勝手に想像しています。
● クリニック前の黒い花
皆さん、駅から学校に向かうとき右側派ですか?左側派ですか?私はここ数年左側派なんですよね。左側にはクリニックがあって、その花壇に植えてある黒い花の植物がいつも気になっています。調べたところカタバミ科のオキザリス・トリアングラリスというそうです。家に植えたいとずっと思っています。ちなみに黒い部分は花ではなく葉なんです。
● 学校の隣のお寺前の掲示板
右側派だった時代に楽しみにしていたお寺の掲示板。けっこうためになる感じの言葉が書かれていたんですけど、ここ数年は書かれていない気が…
● 商店街
商店街の書店は半分になり、半分はセブンイレブンなりました(元々セブンイレブンは交差点の逆側だった)。寿司屋が無くなった時はむっちゃ悲しかったですし、ラーメン屋のから揚げはけっこう好きでした。新しいラーメン屋も3軒くらいできました。ドーナツ屋さんもリニューアルしました。スーパーの前のたい焼き屋さん、お菓子さん、牛丼屋はずっと変わらないです。商店街の移り変わりって何だかグッときませんか?
同じ街に6年通うというのは思い入れが強くなっていくものですね。皆さんも残り5日間登校しながらいろいろ感じてみてください。ちなみに学校はサボらず、遅刻せず、最後まで来てくださいね。
受験生へ
この冬休み勉強できましたか?
模試もないので伸びている実感がない…
時間がなく、とにかく焦っている…
なかなか勉強に身が入らない…
「受験勉強は順調です」と言い切れる人の方が少ないと思います。
何度も言いますが、最後まで諦めずに踏ん張りましょう。現役生は試験始めの瞬間まで伸びます。逆転できます。ここまでうまくいっていなかったとしても、ひっくり返すことは可能です。1分1秒を惜しんで、やるべきことをやり抜きましょう。それ以外に方法はありませんから。
以下は、正月にSNSで話題になっていた「西武そごうの広告」です。受験生の皆さんに当てはまると思いましたので、ここに紹介しておきます。(相撲の炎鵬さんの動画もなかなか良いですよ)
【西武・そごう】わたしは、私。|炎鵬の逆転劇 スペシャルムービー
【学級通信】(第146号)高校最後の冬休みは、新たな出発への準備を
高校最後の冬休みは、新たな出発への準備を
二学期が終わりました。皆さんいかがでしたか?入学前から言われていた新校舎に移った二学期。どんな気持ちで過ごしました?新校舎に移ったことすら忘れていましたか?私はここ1ヶ月くらい、毎日少しずつ破壊されていく旧校舎を見て複雑な思いを感じていました。
二学期が終わると言うことは、冬休みがやって来ます。今年の冬休みは受験勉強ツメツメでしょうし、正月もゆっくりできないでしょう(ゆっくりしちゃいけないでしょう)。体調管理は怠らないようにしてください。進路が決まった人たちも大学からの事前課題が出ていると思いますので、まとまった時間があるうちに、受験生と同じように頑張りましょう。
受験生の皆さんはとにかく勝負の冬休みです。一分一秒を惜しんで勉強してください。ここでスパートをかけられた人たちが結果を出します。途中で力尽きたり、諦めたりしてはいけません。入試開始のその瞬間まで伸びることを信じてやり抜きましょう。自分がやっていることに自信を持って追い込んでください。迷ったり、疲れたり、悩んだりしたら、お気軽にご相談ください。基本的に「がんばれ」しかアドバイスはありませんが、お菓子くらいは用意しておきます(笑)。
受験の話はこの辺にして、全員意識していただきたいことがあります。それは、
「高校生活がそろそろ終わる」
ということです。受験で必死な人も、勉強が進まずに不安な人も、進路が決まってダラダラと生活している人にも終わりがきます。時間だけはすべての人に平等です。
終わりが来るということは、次の人生の始まりが来るということです。4月からは、大学生をやっている人も、専門学校に通っている人も、浪人している人もいるかもしれません。誰も高校には残っていません。先生方だって入れ替わります。卒業してからやって来ても、昔と変わらず迎え入れてもらえないかもしれません。久しぶりに顔を出しても、誰も知っている先生がいなくて、(きみだれ?)という扱いを受けておしまい…なんてこともあり得るわけです。
次の人生が始まるのは家族も同じです。兄弟が就職のために家を出るとか、結婚していくとか、皆さんの高校卒業をきっかけに、周囲も変化していきます。成長したり、変化したり、新しい生活になるのは自分だけではないのです。
周囲も自分も変化していくときに大切にして欲しいのは「準備」です。新しい冒険が始まるのですから、
ある程度のお金、ある程度の装備、ある程度の知識が必要です。
事前に何が起こるのかを想像してください。毎日食べていたお弁当も、遅刻して反省文を書くことも、この学級通信も無くなるのです。一人暮らしの人は、炊事・洗濯が待っているのです。なってみてから気づくより、なる前に気がつければ、冒険はスムーズに進みます。事前の準備をきちんとしましょう。
受験勉強をすることも、資格試験の勉強をすることも、バイトしてお金をためることも、本を読んで知識を得たり、創造力を膨らませたりすることも、新しい人生への準備です。
先日、日本マクドナルドの社長(日色保さん)が一年生の進路講演会にやって来て、
「皆さんは、VUCAの時代を生き抜くことになる」
という話をしていました。VUCAとは、
Volatility(不安定)
Uncertainty(不確実)
Complexity(複雑)
Ambiguity(曖昧)
の頭文字をつなぎ合わせた造語です。これからの世の中は、より不安定になり、より不確実になり、より複雑になり、より曖昧になるので、きわめて予測困難な時代がやってくるという内容でした。
そういう話を聞く度に、「準備が大切」だと痛感します。準備とは勉強のことです。ノリだけでは通用しない、勢いだけでは乗り越えられない時代が来ます。予測困難な時代だからこそ、知恵を絞って生きてください。高校時代の終わりは、より不安定で、より不確実で、より複雑で、より曖昧な世界の始まりなのですから。
【学級通信】(第145号)「失われた学校の自由」…のオチ
「失われた学校の自由」…のオチ
今年の一年生からよくあげられる意見に、
・学校の自由が失われた
・学校の自由を奪わないで
というものがあります。とても興味深いと思いませんか?一年生ですよ。入学してまだ一年間経っていないんですよ。三年生でもなく、二年生でもなく、一年生がそのように感じているところに、なぜなのだろうと気になりました。個人的に考察してみました。
まず学校のルールを確認です。6年間勤めている私が知る限り本校には以下の2つのルールしかありません。
1.頭髪に関して染色、脱色は禁止
2.バイトは原則禁止
こんなにもルールの少ない学校なのに、自由が失われたと言うことは、よっぽど茶髪にしたいとか、よっぽどバイトをしたいということなのでしょうか?
そもそもこの2つのルールは6年前から変わっていませんし、入学前からわかっているはずですから、自由が奪われた…なんて表現はありえないと思うのです。茶髪にしたいなら茶髪にしたいって書くはずですし、そもそも茶髪OKの学校に行くことも選べたはずです。バイトは原則禁止ですが、きちんと理由があれば、届け出を出してくださいと伝えているので、バイトをしたいって話も関係ないと思うのです。しかし、1年生からそういう意見が出てしまう。なぜなのでしょうか?
1年生に聞いてみると、
「先輩のインスタを見て入学したのに、思っていたほど自由じゃなかった」
…という話を聞くことができました。なるほど、先輩のインスタに憧れて入学してきているのですね。スゴい時代です。入学案内のパンフレットより、学校のホームページより、インスタで学校を決める。「学校選びはインスタグラム」…これが現代なのですね。
個人的には学校も公式インスタ持つべきだと思います。公式LINE、公式インスタ、公式Twitter、公式Facebookなど、どんどんSNSを使って発信していけば、もっと人気も上がるでしょう。炎上などのリスクもありますので運営を誰がやるかが難しいところでしょうが、子どもが減ってくる今後は、本気で検討する日も来るはずです。
しかし、現在ではSNSを使って学校(公式)が情報発信しているわけではありませんから、中学生は先輩たちSNSを見て、それを本物の学校だと思っているわけです。ここが大きなポイントな気がします。(見たことないので詳しくはわかりませんが)そこに写っている学校は、本当に本物なのか?という疑問をなぜ持たないのでしょうか?個人的にインスタは充実しているように見せるものだと思っています。そして何よりもインスタは優しい世界。盛っていることをいちいち否定しない。イイネの力は偉大です。
OO最高、OO大好き、OOは自由…
キラキラワードが並んでいる世界を中3が見て、OOはすげー自由で最高だーしかも進学結果も悪くない。中3から頑張っても届きそうだし頑張るぞ!って入学してみたら、思っていたよりも普通だった…ってオチだと思うのです。
そして「自由が失われた」とか言ってしまう
で、1年くらい経過すると、
(あ~私たちは見ていたのは実は虚構の世界なんだ)
と理解しつつ、インスタでの見せ方も覚え、
OO最高、OO大好き、OOは自由…
とシャープを付けて発信する側に回るわけです。そしてそれを見た中学生が…永遠に続く。つまり、
「自分たちで作った自由に、自分たちで騙されていた」
という落語のオチようなことが実際に起きているのではないかという考察でした(ちゃんちゃん)。
ちなみに、本校での教員生活も長くなりましたけど、私的には6年前も、今も、何にも変わらず自由だと思います。3年生になって茶髪禁止が言い出された6年前も、今の一年生も同じです。自由が失われたというSNSに流されて不自由感を増大させるより、多様性が受け入れられることを信じて、自分なりの生き方をした方がよっぽど自由だと思います。…まあ、こんな何の力もない一教員の一方的な話しではなく、生徒と教員が学校の自由について話せる場があれば一番いいんですけどね。
【学級通信】(第144号)N先生の授業見学に行った
N先生の授業見学に行った
ずっと見に行かなきゃ見に行かなきゃと思いながら、ずっと行けなかった授業を見てきました。そうN先生の授業です。12/9(月)4時間目の授業に参加してきました。
N先生が醸し出す空気なのか、クラスの空気なのかはわかりませんが、緊張感が漂っていました。たぶんN先生の雰囲気だと思います。ザワザワすることはありません。今から何が始まるのかとみんながじっと見ているという感じでしょうか(まあ私が教室の真ん中にいたからかもしれませんが…そんなに影響力はないか)。
「何にも勉強するようなことは期待できないって言ったんだけど、見に来たいっていうから、まあどうぞって感じです」
私が授業に参加することを軽く紹介していただき授業はスタートしました。
「昨日は何の日ですか?知らないよね。私の世代はみんな知っている。太平洋戦争が始まった日、暗号はトラトラトラ。終戦記念日は8/15って言っているけど、ポツダム宣言受諾は8/14だから、本当の終戦はそっちかもしれない。戦争は遠くなった。みんな知らない。今、日本史の授業を担当しているが、日本史は暗い話をしなくてはいけない。本当に暗い。山川(教科書会社)は歴史をソフィスティケートに書いてあるけど、実教(教科書会社)はハッキリ書いてあるから、それも言わなきゃならない。世界史は楽だった。イギリスが悪いよねって話で終わるから。」
いきなり太平洋戦争の話でびっくりしました。一気に引き込まれます。そういえば真珠湾攻撃が行われた日と言うニュースがやっていたなと。戦争が遠くなった…という言葉に重みがあります。さすが社会科の先生です。
「同じく12/8はジョン・レノンが暗殺された日。イマジンは平和の歌。あのイギリスから平和を発信した。殺された理由はサインの仕方が悪かったら。キリスト教の人に聞きたい。ジョン・レノンはなぜ死ななければいけなかったのか?それも神が決めたことなのか?ジョン・レノンは最初の奥さんとのときは子育てをしなかった。だけど、オノ・ヨーコさんとのときは子育てをした。ロック系は子育てをする文化になった。子育てで活動を休んでいたが、そろそろ曲を作り始めようとして(復帰のアルバム)ダブルファンタジーを作ったあとに暗殺された。犯人が履いていたLevi's501のポケットには『ライ麦畑でつかまえて』が入っていた。」
悪者だったイギリスから平和を発信したジョン・レノンの殺害は暗殺なのか?反戦の歌の影響なのか?ライ麦畑…の小説が何か関係しているのか?興味は一気に広がります。少しネットで調べましたが、ジョン・レノンの死については、いろんな人がいろんなことを言っています。
「没後にトリビュートライブが行われている。ロイ・オービソンがビデオレターの中で歌ったHelp!は、ジョン・レノンはあ~いう風に歌いたかったんじゃないの?という感じで感動した。武道館でもトリビュートライブはやっている。奥田民生さんは上手だった~あの人は上手い。桑田佳祐さんも出ていた。手術のあとだったからライブでは歌えてなかった。オノ・ヨーコさんは強烈なオーラを発していた。」
ジョン・レノンの追悼ライブに行きたくなりました。調べたところオノ・ヨーコさんが毎年命日に武道館で開催しているようです。Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライブという名称のチャリティーライブです。
「テストの作文に謎の記号が出てくるようになった。全く読めなかったけど、文脈で読み取った(μ'sのこと)。それがラブライブだってことがわかって、生徒に何回見たらいいのか?と聞いたら18回は見ましたと言われた。みんなネクステ18周したか?ラブライバーたちは劇場版を18回見ている。だから私も18回見た。あれはスゴい。9人のキャラクターを完全に描き分けていた。声優のライブも見た。昔の生徒たちは聞かなくてもオススメを教えてくれた。特別教室で昼休みに流したら普段のライブよりたくさん来た。ラブライブの次は、けいおんを見た。その後はマドマギ。最初見たときは、この絵は無理~ってなったけど全部見た。あれは深い。サイコパスも見た。攻殻機動隊も見た。アニメに関する本も読んだ。けど、アニメの総論を書いているものは未だにない。けっきょくはエヴァンゲリオンに行き着いた。映画もテレビも漫画も全部見た。エヴァンゲリオンは何も解決していない。世の中に解決はない。なぜジョン・レノンは死んだのか?解決はない。長女のひなこに「これなんて読むのか」と聞いた。私が読むと「おにめつのかたな」なんだけど…お父さんそれ、鬼滅の刃(きめつのやいば)だからと言われた。鬼滅の刃はドラッグストアで平積みされていた。ドラッグストアは漫画を売るようになったのか?これだけ流行っていても朝日新聞にもAERAにも載っていない。世の中の知識層はサブカルを何もわかっていない。キングダムも賞をとってからようやく取り上げられた。私は中国史を知っているから読まなかったけど、あとで読んで読まなかったことを後悔した。」
エヴァンゲリオンからのジョン・レノンの死について…深い。世の中に解決はないんですという言葉に感動しました。私がエヴァンゲリオンを見たのは高校時代。一気に引き込まれ、謎のまま終わってしまった内容は、世の中に解決はなかったということを表現していたのかと納得しました。
「世の中はダイバーシティになっているのに、みんな同じものを見ている。あいみょん、髭男…みんな書く。ビッグデータが分析されているはずなのに、それぞれに合わせたものはオススメされていない。ビッグデータはまだまだ活用されていない。280人いると「夏目友人帳」を薦めてくる子が必ず一人いる。あしたのジョーを書いてくる子もいる。あしたのジョーは私の小6の頃。尊敬する人は?と先生に聞かれて「ケネディ」とか答えていた時代に(友達の)ヒデちゃんは「力石!」って答えていた。ヒデちゃんかっこぃー。高知の公民館では力石の葬式もやっていた。ヒデちゃんは泣いていた。本当はマークシートの方が楽だけど、作文を書かせて一人一人が違うことを確認できたのは良かった。文章を読むと一人一人のダイバーシティを確認できる。」
あしたのジョー…令和の時代に読んでいる子がいるんですね。私は高校時代に全巻読みましたけれど、あれは壮絶な物語です。なみだ橋を逆に渡る物語をもう一度読みたくなりました。多様な時代だと言われながらもSNSに流され、みんな同じことしか見ていないという現代において、文章を書いて自分の好きなことを薦めることでダイバーシティを感じられるというのはとても興味深かったです。
気がつくと授業終わりのエンディングが流れていました。太平洋戦争~ジョンレノン~エヴァンゲリオン~ビッグデータ~ダイバーシティ…。こんな話を毎回聞けている生徒は幸せだと思います(まあ毎回ではないかもしれませんが)。私がどんなに授業を頑張っても勝てないと本気で思いました。卒業後10年経ってもN先生のことは全員が忘れないでしょうが、私のことなど30人くらいしか覚えていないでしょう。強烈な個性というものはそういうものなのだと思います。
N先生の授業を一回でも受けられた喜びを胸に刻みたいと思います。本校に6年いて授業を一度も見ないまま終えなくて良かった。皆さんもこの学校で受けた授業のことを覚えておくと良いですよ。授業にも世の中にも正解や解決はありませんが、誰に何を教わったかが自分の人生を形作っているのは間違いありませんから。
【学級通信】(第143号)めんどくさい儀式性が価値を高める
めんどくさい儀式性が価値を高める
皆さんとお会いするのもぼちぼち終わりですね。1年間の担任といっても、3学期がないので10ヶ月のお付き合いでしたね。卒アル写真をチェックしたり、卒対委員のお手紙企画とかを聞くと、
(あ~お別れだなぁ~)
と感じます。寂しくないですか?私は寂しいです。三年生の担任になってからずっと感じています。
(あ~終わるんだよな~)
という得も言えぬ寂しさ。10年前に卒業生を出しときにはあまり感じなかったですけどね(笑)。いや、感じていたのかな?覚えてないが正しいですね。そのとき何となく感じていた感情など、過ぎてしまえば忘れてしまうものです。けど、それって悲しくないですか?
だから、卒対のお手紙企画はとてもステキだなと思いました。そのとき想っていた気持ちを綴る。相手にそれを送る。記憶は残らなくても手紙は残ります。残すためにワザワザ書いたという行為そのものにも価値があります。ワザワザ手紙を書く…という労力が私たちの気持ちを高めます。インスタでもTwitterでも気軽に記録ができるようになりました。世界中に発信できるようになりました。しかし、手紙の価値には叶わないと思います。(最近、提出頻度が落ちてきた)個人ノートも同じです。手書きに価値があるのです。アプリを起動して気楽に書くわけではない、ノートを開き、鉛筆を出し、机に向かい、想いを綴る。そこまで準備をしたのに、
「今起きた」
「マジだるい」
なんていうTwitter的記述だけで終わらないですよね。それが、ワザワザ書くために準備するという儀式的行為そのものの力だと思うのです。
先日、アナログレコードが流行っているというニュースを見ました。番組の中で、
「アナログレコードを再生するのは、めんどくさい手順が必要です。だけどその儀式性が音楽の価値を高める」
と言っていました。今の時代であればAmazon Musicか、Spotifyを起動して検索するのが最も効率の良い音楽の聞き方だと思いますが、アナログレコードはその逆を行っていますよね。
卒業を迎えるにあたって、いろいろやりたいことがあります。(担任が久しぶりですし、教科的に担任に入りづらいので、ひょっとしたらもう二度と担任をやらない可能性もあるかと思うと、やりたいことは全部やろうと思って生きています。振り回されている皆さんごめんなさいね。)その一つが卒業文集です。本当はやるつもりも、提案するつもりもなかったのですが、やっぱりやりたいなと最近気持ちが高ぶっています。きっかけは、Mさんの個人ノートに貼ってあった8歳の頃の手紙でした。
18さいになったMは、どんなこうこうにいっているのでしょう。あたまはよくなっているのでしょう。そろばんは、つずけているのでしょう。いまは8きゅうだけど、18さいのときはなんきゅうなのか、たのしみです。アルバイトは、なにをしているのでしょうか。いまのMは、じはふつうですけど18さいのMは、じはきれいになっていますか、それともきたないですか。しゅう学りょこうはたのしいですか。Mは、いま2年生なので、しゅう学りょこうはありません。Mは、とうきょう大学をめざしています。だから、いまママとパパに、じゅくをならわせてとおねがいしています。いまは、そろばんと、ユニホッケと、ピアノをならっています。ひこうきは1人でのれますか?
十年後の自分に当てた手紙。涙しましたね。子どもの成長というのは感動するものなのだと改めて感じました。そのときの自分が何を考えて、何を想像していたのかをきちんと記していることがどんなに素晴らしいことなのか。もしこれを39人の文集にしたらどうなるのか、ワクワクしませんか。
めんどくさいという気持ちはわかります。しかし、どうしてもやりたいなと。めんどくさいことにワザワザ挑戦するという儀式が、10年後の誰かに何かを与えるものになるはずだと思うのです。詳細は、全ては受験の終わったあとに提案します。